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当ブログの『テラーオブザテラー』ですが、12~13年ごろ前にFM福井にて23:50分くらいに放送されていた5分間のラジオドラマから取っています。
(うろ覚えなのでタイトルが正しいかわかりませんが…)

自分が録っていたテープも紛失してしまったし、ネット上でもまったく情報を見ないのでほんとにあったかどうかもわからないのですが、もし『私知ってる!』という方がいれば連絡ください。

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■引用:日本史板

1 名前:日本@名無史さん 投稿日:2006/12/10(日) 16:31:12 ID:
よく分からないのだが・・・


2 名前:日本@名無史さん 投稿日:2006/12/10(日) 16:32:43 ID:
天皇家に決まってるだろ

3 名前:日本@名無史さん 投稿日:2006/12/10(日) 16:36:00 ID:
徳川家は腕っ節で天下を取ったのかそれとも天皇家から任されてたのか

4 名前:日本@名無史さん 投稿日:2006/12/10(日) 19:50:03 ID:
天皇の喪、将軍の喪
では、圧倒的に将軍のほうが長いのよん。

将軍の方が日本では重要であるということを
天下に知らしめる目的。

5 名前:日本@名無史さん 投稿日:2006/12/10(日) 20:21:09 ID:
徳川歴代将軍の官位は従一位~正二位で、官職は太政大臣・左大臣・右大臣・内大臣。
征夷大将軍として大政を委任されていた。大政を委任されていたから
慶喜は大政奉還を行った。天皇の政(まつりごと)であるから「大政」といい、
それを委任されていた将軍が天皇に還し奉るから「奉還」という。
大政奉還は大政委任なくしてはありようがない。大政奉還はあった。
ゆえに、大政委任があった。

6 名前:日本@名無史さん 投稿日:2006/12/10(日) 20:36:12 ID:
「江戸幕府初代将軍である徳川家康が、東照大権現という神号をもち日光東照宮にまつられていることは、
日本人の常識である。『権現様』『神君』『東照宮』と称されて、徳川将軍家、旗本、譜代大名、さらには
外様大名まで、カリスマとしてその精神的な拠り所、精神的支柱として重要なイデオロギー面での役割を
果たし続けた。だが、東照大権現の神号をおくり、神としてまつったのは、将軍ではなく天皇であった。
将軍には絶対まねのできない機能なのである。

 そして、神格を与えられた家康をまつる神社は、当初は日光東照社であったが、それに一段高い格を
与えて日光東照宮としたのも、幕府が勝手にやったのではなく、天皇であった。徳川家康を神にまつり、
その社に宮号をおくったのは天皇なのである。天皇なしに日光東照宮も東照大権現もこの世になかった。」

藤田覚(東京大学文学部教授)「幕末の天皇」(講談社選書メチエ)

因みに藤田は東大でも有名なマルキスト教授の左派でもある。

7 名前:日本@名無史さん 投稿日:2006/12/10(日) 20:38:34 ID:
>>1
その「水戸黄門」の場面について。

徳川光圀(1628~1700)は、1690年に従三位権中納言に叙せられている。
「黄門」とは権中納言の中国名「黄門侍郎」の略称で、ドラマで光圀を
中納言としているのは誤り。権中納言が正しい。
光圀が頭を下げている菊亭左大臣は、今出川公規(1638~97)だろう。
ただ、公規は左大臣ではなく従一位右大臣。また、菊亭というのは
今出川家の通称で、今出川家では大納言までは菊亭を名乗り、大臣
になれば今出川家を名乗るので、その場面で菊亭と名乗っているのは
誤りである。
だが、いずれにせよ従三位権中納言たる徳川光圀が、従一位右大臣である
今出川公規に頭を下げるのは当然のことだ。

9 名前:日本@名無史さん 投稿日:2006/12/10(日) 21:01:59 ID:
おい権中納言光圀!

左大臣閣下に土下座せんかい!
ちょっと無礼すぎるぞ!

10 名前:日本@名無史さん 投稿日:2006/12/10(日) 21:32:17 ID:
権中納言はまだともかく、その臣下の者が土下座しないのはいかにもひどい(w

11 名前:日本@名無史さん 投稿日:2006/12/10(日) 23:17:38 ID:
鎌倉や室町の場合はどうなんだろ?

12 名前:日本@名無史さん 投稿日:2006/12/10(日) 23:30:42 ID:
>>1

なんかこれ見てドラマとは言えちとショック・・・
子供の頃からこの世で黄門様は将軍の次にもしくは年を取ってる分とてつもなく
偉い人間なのだと思ってたがこのスレ見てると上には上がたくさんいるのね・・・

16 名前:日本@名無史さん 投稿日:2006/12/11(月) 00:32:01 ID:
幕府は天皇に攘夷を約束しておきながら何もしないので、天皇から
征夷大将軍を解職すると脅されて慌てた。

諸外国が条約締結のために来日した時、条約締結は天皇の大権なので
勅許を得るまで使節を待たせた。井伊直弼は天皇の勅許を得ずに条約を
締結したとされるが、実際は勅許を得るために最後まで努力した。

17 名前:日本@名無史さん 投稿日:2006/12/11(月) 00:40:14 ID:
将軍補佐役であった松平定信は、15ヶ条からなる「御心得箇条」を将軍に
提出した。その中にこうある。

古人も天下は天下の天下、1人の天下にあらずと申候、まして60余州は、
禁廷より御預り遊ばされ候御事に候へば、仮初にも御自身のものと
思召すまじき御事に御座候。

征夷大将軍は天皇の統治権(大政)を委任されているだけであることを、
幕閣の重職にあった松平定信自身が将軍への諭しとしている。

18 名前:日本@名無史さん 投稿日:2006/12/11(月) 02:02:57 ID:
>1
格は天皇が上。そんなの当たり前。我が国で天皇より上などない。
天皇の父が上皇で院であっても、格は子供の現天皇のほうが上。
問題は実質。院は誰を天皇にするかに容喙したが、その逆はない。
幕府は誰を天皇にするか容喙するが、朝廷が誰を将軍にするかに容喙はしない。

25 名前:日本@名無史さん 投稿日:2006/12/11(月) 19:03:59 ID:
_________征夷大将軍__________
:順番
(幕府内) 人名 在職年 備考(官位は、将軍就任時と退任時。そして没後の贈官位)
1 大伴弟麻呂 793-794? 従四位下→従三位
2 坂上田村麻呂 797-811? 陸奥出羽按察使従四位下陸奥守→大納言正三位
- 文屋綿麻呂 813 征夷将軍。参議従三位→参議従三位
- 藤原忠文 940 征東大将軍だが、異伝あり。参議正四位下→参議正四位下
3 源義仲 1184 従四位下伊予守→従四位下伊予守
4 (1) 源頼朝 1192-1199 1195年辞任の説あり。正二位前権大納言→正二位前権大納言
5 (2) 源頼家 1202-1203 従二位左衛門督→正二位左衛門督
6 (3) 源実朝 1203-1219 従五位下→右大臣正二位左近衛大将

26 名前:日本@名無史さん 投稿日:2006/12/11(月) 19:05:38 ID:
7 (4) 藤原(九条)頼経 1226-1244 摂家(藤原)将軍。九条道家の子。正五位下右近衛権少将→正二位前権大納言
8 (5) 藤原(九条)頼嗣 1244-1252 従五位上右近衛権少将→従三位左近衛中将
9 (6) 宗尊親王 1252-1266 皇族将軍。後嵯峨天皇の皇子。三品→一品中務卿
10 (7) 惟康親王(惟康王→源惟康→惟康親王) 1266-1289 従四位下→二品
11 (8) 久明親王 1289-1308 後深草天皇の皇子。三品→一品式部卿
12 (9) 守邦親王 1308-1333 不詳→二品
13 護良親王 1333 二品兵部卿→二品兵部卿
14 成良親王 1335-1336 上野太守四品→上野太守四品
15 (1) 足利尊氏 (高氏→尊氏) 1338-1358 正二位権大納言→正二位権大納言。贈従一位左大臣。追贈太政大臣。
16 (2) 足利義詮 1358-1367 参議従三位左近衛中将→正二位権大納言。贈従一位
17 (3) 足利義満 1367-1394 従五位下左馬頭→准三宮従一位前左大臣。将軍辞職後、太政大臣。
18 (4) 足利義持 1394-1423 正五位下左近衛中将→従一位前内大臣。贈太政大臣

27 名前:日本@名無史さん 投稿日:2006/12/11(月) 19:07:04 ID:
19 (5) 足利義量 1423-1425 正五位下右近衛中将→参議正四位下右近衛中将。贈従一位左大臣
20 (6) 足利義教(義宣→義教) 1429-1441 参議左近衛中将従四位下→従一位前左大臣。贈太政大臣
21 (7) 足利義勝 1442-1443 正五位下左近衛中将→従四位下左近衛中将。贈従一位左大臣
22 (8) 足利義政 (義成→義政) 1449-1473 正五位下左馬頭→准三宮従一位前左大臣。贈太政大臣
23 (9) 足利義尚(義尚→義煕) 1473-1489 従五位下左近衛中将→従一位内大臣右近衛大将。贈太政大臣
24 (10) 足利義材 (義材→義尹→義稙) 1490-1493 従四位下右近衛中将→参議右近衛中将従四位下。
25 (11) 足利義澄(義高→義遐→義澄) 1494-1508 正五位下左馬頭→参議従三位左近衛中将。贈太政大臣。
26 (10) 足利義稙 (義材→義尹→義稙) 1508-1521 再任。従三位権大納言→従二位権大納言。贈太政大臣従一位
27 (12) 足利義晴 1521-1546 正五位下左馬頭→従三位権大納言右近衛大将。贈従一位左大臣
28 (13) 足利義輝 (義藤→義輝) 1546-1565 従四位下左馬頭→参議左近衛中将従四位下。贈従一位左大臣
29 (14) 足利義栄 1568 従五位下左馬頭→従五位下左馬頭
30 (15) 足利義昭 (義秋→義昭) 1568-1573 実は出家時の1588年までは名目上在任。参議左近衛中将従四位下→従三位権大納言。将軍辞職後、准三宮
31 (1) 徳川家康(松平元信→松平元康→徳川家康) 1603-1605 従一位右大臣→従一位前右大臣。将軍辞職後、太政大臣。贈正一位
32 (2) 徳川秀忠 1605-1623 内大臣正二位右近衛大将→従一位右大臣右近衛大将。将軍辞職後、太政大臣。贈正一位

28 名前:日本@名無史さん 投稿日:2006/12/11(月) 19:08:07 ID:
33 (3) 徳川家光 1623-1651 内大臣正二位右近衛大将→従一位左大臣左近衛大将。太政大臣宣下固辞。贈太政大臣正一位
34 (4) 徳川家綱 1651-1680 内大臣正二位右近衛大将→右大臣正二位右近衛大将。贈太政大臣正一位
35 (5) 徳川綱吉 1680-1709 内大臣正二位右近衛大将→右大臣正二位右近衛大将。贈太政大臣正一位
36 (6) 徳川家宣(綱豊→家宣) 1709-1712 内大臣正二位右近衛大将→内大臣正二位右近衛大将。贈太政大臣正一位
37 (7) 徳川家継 1712-1716 内大臣正二位右近衛大将→内大臣正二位右近衛大将。贈太政大臣正一位
38 (8) 徳川吉宗(松平頼方→徳川吉宗) 1716-1745 内大臣正二位右近衛大将→右大臣正二位。贈太政大臣正一位
39 (9) 徳川家重 1745-1760 内大臣正二位右近衛大将→右大臣正二位。贈太政大臣正一位
40 (10) 徳川家治 1760-1786 内大臣正二位右近衛大将→右大臣正二位右近衛大将。贈太政大臣正一位
41 (11) 徳川家斉 1787-1837 内大臣正二位右近衛大将→従一位太政大臣。贈正一位
42 (12) 徳川家慶 1837-1853 従一位左大臣左近衛大将→従一位左大臣左近衛大将。贈太政大臣正一位
43 (13) 徳川家定 (家祥→家定) 1853-1858 内大臣正二位右近衛大将→内大臣正二位右近衛大将。贈太政大臣正一位
44 (14) 徳川家茂(慶福→家茂) 1858-1866 内大臣正二位右近衛大将→従一位右大臣右近衛大将。贈太政大臣正一位
45 (15) 徳川慶喜 1866-1867 正二位権大納言右近衛大将→内大臣正二位右近衛大将。明治時代、従一位。公爵。勲一等旭日大綬章。贈旭日桐花大綬章

34 名前:日本@名無史さん 投稿日:2006/12/13(水) 11:31:45 ID:
>>1
これは、2代目の黄門様だよね?
初代の黄門様の再放送でもほぼ同じ話を見た。

そのときの悪役公家は、六条三位(>>1は一条三位になってるけど)。
やはり、「麿は帝の臣じゃ~!徳川の家来ではおじゃらん!」とやって、
そこで左大臣が登場。
で、うっかり八兵衛が助さんに「左大臣様ってそんなに偉いの?」と聞いて、
助さんが「左大臣様と言えば、摂政・関白様に次ぐ重職だ 云々」と答えるシーンがあった。

36 名前:日本@名無史さん 投稿日:2006/12/13(水) 16:20:17 ID:
微妙な問題を扱った回だよな

38 名前:日本@名無史さん 投稿日:2006/12/13(水) 23:56:49 ID:
まあ、武家権力に反感を持ってる奴らには朝廷をちらつかせ、
一般向け・対外向けには武家が日本国の統治権の主体であったと。
この点から、どっちが上かは明白。

実質的にも、武家は朝廷をコントロールできたけど朝廷は武家の言い成り・あるいは武家権力の範疇でしか
行動の自由を許されなかったわけで。

43 名前:日本@名無史さん 投稿日:2006/12/14(木) 17:25:58 ID:
はい基本中の基本
武家の憲法 御成敗式目
ここにね、
「これから、武家は直接天皇より官位をもらっちゃだめだよ。
将軍が天皇から官位をもらう窓口だから君たちは将軍からもらうんだよ。」
って事になった。 結果、日本中の武家が全部将軍の下に集まる事となった。
でもその権威の根本は、朝廷からの官位

朝廷が直接官位を将軍以外にも出したら、
将軍が統率できなくなるっていう理由

即ち、将軍が天皇より上ってのは全くありえない。

44 名前:日本@名無史さん 投稿日:2006/12/14(木) 18:10:09 ID:
日本国では天皇は国民に従属する一公務員

45 名前:日本@名無史さん 投稿日:2006/12/15(金) 00:30:34 ID:
天明の大飢饉が幕府の衰退を決定的にした。将軍のお膝元である江戸で大規模な
打ち壊しが勃発し、幕府の威信が大きく揺らいだ。
そんな時、光格天皇が即位した。大飢饉の余波で困窮した人々に京都所司代は何も
してくれなかった。人々は御所の千度参りをを行い、その数は万を数えるまでに
なった。光格天皇は幕府に庶民の救済を命じた。幕府はこれに服従した。以降、
幕府は日本に来航した外国人についての朝廷への報告等を義務づけられる。
現在の天皇家は、この光格天皇の直系。

51 名前:日本@名無史さん 投稿日:2006/12/15(金) 23:36:53 ID:
なぜ徳川将軍は正二位どまりが多いのだろう?
公家だと大臣までつとめた人で正二位どまりなのは早死にした場合くらいでしょ?

52 名前:日本@名無史さん 投稿日:2006/12/15(金) 23:59:00 ID:
別に大臣の仕事してたわけじゃないし。
現代だって将軍どころか「大佐」が一番偉い国あるし。

57 名前:日本@名無史さん 投稿日:2006/12/16(土) 12:56:34 ID:
将軍家の方が格上とかいう奴、大丈夫か??
権威と権力の違い分かる?
将軍家は言ってみれば世襲している軍人首相みたいなもの。
内政・外交の権限を任されているだけ。
「じゃなぜ開国の時に朝廷を相手じゃなく幕府を~」っていうのも、
各国要人が日本に来た際、交渉するのは首相でしょ?

58 名前:日本@名無史さん 投稿日:2006/12/16(土) 18:37:44 ID:
天皇に権威があったとしたなら
そんな権威ある地位にありながらずっと日陰で貧窮に喘いでいたのは歴代の天皇がよほどのクズで無能だったことになる。
後醍醐のようなやつも人々の人望を失い世間から見放され結局天皇なんか要らないとなったのが歴史的事実。
権威ある地位に能力のある人物がつけば世の要望に応えられるだろう。
なのに天皇を求める人々はいなかった。世襲制の近親相姦一族ではクズが天皇になる。
天皇や公家=愚か者のイメージは京の人々が金のムシンに来る公家や皇族を実際に見て得たイメージだろう。
「今日(京)の諸受け(商家)の襖ガミ、うらを反せば供花(公家)の小門(証文)」
京の人々に天皇や公家は馬鹿にされ蔑まれている。

61 名前:日本@名無史さん 投稿日:2006/12/16(土) 19:07:56 ID:
>>58
それは言いすぎかと。。


第一、天皇の権威の拠り所は俗世の皇帝としてのものと神道の教皇の二つなわけだが、
武家政権によって前者の役割が薄められ、後者は仏教の浸透や本地垂迹説の定説化によって力を失った。
平安時代においても後者は大きな力を失っていたけど、天皇の側近たる貴族が皇帝としての権威を利用し、権威自体を高めていたから権威が後の世よりも高く見えるだけ。

62 名前:日本@名無史さん 投稿日:2006/12/16(土) 20:45:17 ID:
疑問なのだが京の朝廷を攻めて天皇の権威を力ずくで奪う事とかできなかったの?

63 名前:日本@名無史さん 投稿日:2006/12/16(土) 21:30:53 ID:
力ずくで奪うことが出来るのは「権力」。「権威」の方は国や時代で違う。
この国の最高の権威の必要条件は、アマテラスの直系であることなので力で奪うことはムツカシイ。
やろうと思えば出来たかもしれないが、温存する方が楽だったんだろう。

64 名前:日本@名無史さん 投稿日:2006/12/16(土) 22:34:17 ID:
>>62
そんなことをすれば全国の大名、特に西国諸大名を敵に回すことになる。
幕府は西国大名が参勤交代の際に入京することを禁じていたのは、朝廷と
結びつくことをおそれたから。

65 名前:日本@名無史さん 投稿日:2006/12/16(土) 23:39:28 ID:
朝廷にそこまでの「値打ち」があったかちょっと疑問だな。
諸大名をまとめる権威があったのなら、そもそも戦国時代にならないと思ふ。

86 名前:日本@名無史さん 投稿日:2007/01/03(水) 02:27:57 ID:
黒田なんとかって学者が中世の天皇家・武士・寺社の相関関係を表現した学説
あったよね。あ~記憶力の低下がもどかしい。

戦国大名はなぜあれだけ官位を欲しがったのか。既存の権威を悉く破壊
した織田信長も官位をもらい右大臣にまでなっている。幕府を開くには征夷
大将軍という官職を天皇家から賜らないといけない。
 しかし天皇家には武力がない。よって日本を統治する能力もない。武士には
権力があるけど権威がない。天皇家は権威があるけど権力がない。お互いが
対立する関係ではなく補完する関係であるみたいな。

87 名前:日本@名無史さん 投稿日:2007/01/04(木) 14:39:10 ID:
あー、そういうのほぼ定説だよね。

ただ井沢氏じゃないが、何で日本では「権力→権威」にならなかったかは説明出来てないよな。
中国では劉邦や朱元璋みたいな人でもいったん天下を取ると、
「天命が下った」ってことで皇帝になれるけどココじゃ無理。
「天壌無窮の神勅」信じてた訳じゃないよな?

89 名前:日本@名無史さん 投稿日:2007/01/15(月) 10:43:13 ID:
西郷隆盛みたいな例外を除いて誰であってもいざ権力者になってみたら、
最大の懸案はせっかく得た権力を他人に奪われない事につきる。

時間の経過に伴い知力と体力のピークを過ぎたら日増しに衰えていく自分とひきかえ、
若い実力者は次々と世に出現して権力闘争を挑んでくる。
権力の座に居座り続ける時間が長くなればなる程、
不利な条件での勝負を強いられていく訳だ。

誰もが年老いる以上、実力勝負に勝ち続けるのはどんな権力者にとっても厳しい課題なのだ。

日本では古代のある時期から権力者が「権威と権力の分離」を思いついた。
時間の経過に比例して増強される性質を備える権威を保護する見返りとして、
その権威に仕える臣下という立場に備わる権威を補強して貰うのだ。

こうすれば時間が経過して実力が衰えても、
天皇の臣下としての権威は日増しに増強されて権力闘争を有利に戦える助けとなる。

権力と分離しなかった諸外国の権威は権力闘争で政権が交代する都度リセットされてしまったが、

古代から権力闘争と切り離された天皇の権威はついに国際儀礼における元首の最高ランクに位置付けられる唯一の例となる程までに高められた。

97 名前:日本@名無史さん 投稿日:2007/02/18(日) 21:38:02 ID:
実は「名目的な君主」と「事実上の君主である世襲軍人首相」が鼎立した例というのは、日本だけじゃない。
アッバース朝イスラム帝国の君主(カリフ)も、中期以降ブワイフ朝・セルジュク朝(・ファティマ朝)のトップに、
将軍(スルタン)の位を与えていた。実質的権力ゼロのアッバース朝を誰も倒せなかった(倒したのはモンゴル)のは、
アッバース家がマホメットの血筋だったから。

というわけで「権力は無くても血筋か良い」人というのは倒しにくいのだよ。
日本の天皇家も同じようなものだったのではないかな。

106 名前:日本@名無史さん 投稿日:2007/02/19(月) 20:25:39 ID:
トンガの場合本来の王が祭祀王になって分家が政務を執っていたけど、
そのうちそれも形式化してそのまた分家が実権を握ったそうだ。
その後その実権を持っていた又分家が正式に王となり、それが今の王家。

ベトナムも最後の皇帝のご先祖は先王朝の権臣。
その死後娘婿に実権をとられてしまい南に逃げて半独立王朝、
ところが叛乱で滅ぼされて甥だけ逃亡。
その後傀儡皇帝共々北の政権も反乱軍に滅ぼされるが、
フランス人神父の援助を得たりして皇帝に即位。
叛乱がなければまだしばらく傀儡皇帝の元で南北鼎立が続いたんだろう。

111 名前:日本@名無史さん 投稿日:2007/02/20(火) 22:35:04 ID:
そういえば嘗て衆参議長が小泉元首相に
「たかが行政の長(首相)が口を出すな」と発言した事があったが
三権の長(首相、議長、最高裁判官)の
任命権がある天皇ってすごいな。

114 名前:日本@名無史さん 投稿日:2007/02/20(火) 23:20:30 ID:
三権の長には上下関係はなく対等。
三者がお互いを補完・監視して均衡をとるわけだろ?
この三者の上にあって憲法公布して国会を開催して
外国との条約に調印して国家の象徴だったりするとすごくね?

115 名前:日本@名無史さん 投稿日:2007/02/21(水) 03:38:04 ID:
>>111
天皇が任命するのは、征夷大将軍や関白も同じじゃん。
任命は出来ても、指名は出来ないのも伝統か。

117 名前:日本@名無史さん 投稿日:2007/02/21(水) 08:59:44 ID:
結局積み重ねだから、一度権威がかたまってしまえば、外から別の権威を持ってくるか、
大失敗で権威が失墜椎名限り、取り替えるのは難しいんだよね。
元々ころころかわって権威が安定しない時は簡単だけど。
英仏だって王朝は変わっても、初期を除けば一応前王朝・前々王朝との繋がりを権威付け
に使っているし。
大義名分があると反抗しにくいし、力は正義がいつも有効じゃあないんだよね。
島国とか宗教関係は権威が確立しやすいってことはあるな。




なかなか興味深い…。
権力と権威の分離ってなかなか優れたシステムなのかも。

        ト、、:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:_,. -‐ '":;:;:;:;:;:;:;_,.ノミ'、
        |:;:;:;:``'ー:;:;:;:''"´:;:;:;:;:;:;:_,. -‐='二三シハ
        ト、_:;:;:;;l:;:;:;:;:;__,. - '"´ 三三三三彡ノ!
        l:::l  二、― 'r―-,_   _三三三彡彡ニヽ
         ヾi  `ー′:. `""´   ` ̄'三三彡片ヽl|
         '、 , - 、、   __,.. .. ,、_,  '三彡'^> ノリ
         l イで>、ヽ  ':,ィ'で'>'"   三シ' f ノ /
         l ヾ二フ ,!  ヽ二彡'´   }ツリ ,、_ノ
         '、    l    ,.、      i 川 ├ミ'、 そんなことより
          ヽ   ,'   '__)ヽ、    /``7>、      入浴シーンのZIPを!
             ヽ /`ー'i´   \   /  ///>、
           ヽ'、 、_,==ァ=-、_,} / /./////ト、
            \ヾ二"´_,. ‐-.:.:/ /.//////:.:ヽ
           ,. -/ゝ、':、_:' :、_ _:/ / //////:.:.:.:.ヽ‐- 、
          / /:.:.'、 ヾ"゙´ ̄ / / /////'′:.:.:.:.:.ソ ノ )
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