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当ブログの『テラーオブザテラー』ですが、12~13年ごろ前にFM福井にて23:50分くらいに放送されていた5分間のラジオドラマから取っています。
(うろ覚えなのでタイトルが正しいかわかりませんが…)

自分が録っていたテープも紛失してしまったし、ネット上でもまったく情報を見ないのでほんとにあったかどうかもわからないのですが、もし『私知ってる!』という方がいれば連絡ください。

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■引用:考古学(仮)@2ch掲示板

1 Name: 出土地不明 [] Date: 2005/09/02(金) 02:35:56 ID: LXy1BpIK Be:
米づくりの技術とともに多くの渡来人が渡ってきて「弥生人」となったという説はウソだった!

・弥生初期に「渡来人」が大勢やってきた証拠など存在しない。飽くまで仮説の一つに過ぎない。
・そもそも、研究に耐えるような弥生人の骨は数少ない。埋葬方法の関係で骨が残りにくいから。
・最近発見された弥生時代の人骨は、いずれも縄文時代と同じ形質を持っていた。

今 ま で 騙 さ れ て た !!

縄文人と「弥生人」―古人骨の事件簿 縄文人と「弥生人」―古人骨の事件簿
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2 Name: 出土地不明 [] Date: 2005/09/02(金) 07:53:00 ID: uD68D6me Be:
まあ、弥生人が渡来であろうと無かろうと、実際に政権を掌握したのはその後の古墳時代の渡来人であることは誰の目にも明らか。

4 Name: 出土地不明 [] Date: 2005/09/02(金) 09:54:07 ID: LXy1BpIK Be:
●大和政権の発展のために働いた渡来人(渡来人研究会

秦氏・・・秦の始皇帝の末裔を自称していたと伝えられる。
蘇我氏の元で、諸外国の技術・知識を調べ出すことを、当時の政権のため、あるいは氏族自身の朝廷での優位性をたもつために、熱心におこなっていただろうことが想像される。
蘇我氏の仏教導入のための造寺、儀式導入など。
養蚕から絹織物との関わりも考える説もある。
大蔵・内蔵官人職との関わりが強く、文筆業・算術などにも長けていたものとおもわれる。
長岡・平安遷都には、山城に拠点をもった秦氏とその土木技術が大きく影響を及ぼしている。

東漢氏・・・韓半島でもカヤ地域から河内に渡来してきた氏族。
漢帝国に属した帯方郡から渡来したという伝承に由来して「漢」と称することとなったと考えられている。
伝承面では東漢氏の渡来伝承には、神牛の導きに従い、中国漢末の戦乱から逃れ、朝鮮に渡ったこと、皆才芸に優れ重宝されたこと、さらに聖王が日本におり、このままでは滅ぼされてしまうとして、渡来してきたと伝えられている。 
蘇我氏の兵士として奉仕していたが、壬申の乱では、蘇我氏を見捨てることもあった。
その後天武天皇にそれら推古天皇以来の武力の技をとがめられている。

西漢氏・・・物部氏と結びつきが深かったとの説がある。東漢氏に準ずる形で組織が成立していったらしい。

文氏・・・王仁の後裔氏族。文筆業を主としたことから、その呼称・氏族名が生じたものと考えられている。

今来漢人・・・遅れて渡来した漢人。外交関係に従事。
陸系先進技術を通して、王権に奉仕していったものと考えられている。
奈良時代にはその一部は雑戸・品部として、官営工房などに配属されたようだ。

吉士集団・・・6世紀ごろに渡来した新羅系の渡来人集団。

7世紀以降の渡来人・・・百済・高句麗が滅んだときに亡命してきた、百済王氏・高麗王氏らの亡命渡来人や、朝鮮三国の官職をもって渡来した氏族とその子孫、唐から遣唐使などを通して渡来した唐人などがある。
また、7世紀ころになるとペルシアやインド方面からの渡来人も記録されている。
これらの渡来人は、当時最先端の大陸系の知識・文化を身につけていたことから、時に重宝されることがあったものと考えられている。

5 Name: 出土地不明 [] Date: 2005/09/02(金) 12:28:58 ID: 5kY1biak Be:
武烈天皇あたりは間違いなく渡来系だろうな

6 Name: 出土地不明 [] Date: 2005/09/02(金) 20:55:40 ID: LXy1BpIK Be:
>>5
ん?悪逆非道な人物として書かれているからか?
日本書紀の記述を読むと、確かにちょっとヒクくらい悪逆にかいてある。
だけどアレは、次の継体天皇からの血統の正当性を強化するために、ありもしないことを書いたって言う説の方が信用できるぽいな。
古事記には悪いこと書いてないし、日本書紀でも前半部分だけ読むとけっこう良い為政者って感じに書かれている。
後半唐突に悪者になるんだけど、なぜかその後突然百済の末多王の話が出てくる。
まるで末多王のお話をお手本にしましたよ、ってな感じだ。
こんなに悪く書いちゃったけど大丈夫、お隣にも悪い王がいるからね、みたいな。
武烈天皇には兄弟も跡継ぎもいなかったので、5代も遡って次の天皇を探してきたから、反対する奴も多くて、その後の血統を正当化するために武烈天皇を貶めたんじゃないかって話だ。
武烈天皇のことを悪くいっても、子孫がいないんじゃ文句言う奴なんて誰もいないしな。
この辺の皇位継承のゴタゴタなんかを、血統の断絶という研究者もいるけど、今んとこ何の証拠もないな。

8 Name: 出土地不明 [] Date: 2005/09/04(日) 00:18:23 ID: 0Zhc2ohU Be:
>>6
あの武烈の記述ってば、たしか、中国の歴史書の酒池肉林のあたりのなんたら王の記述のパクリで、事実とはおもえんって話だったと思う。

9 Name: 出土地不明 [] Date: 2005/09/04(日) 11:20:36 ID: jgVf8NO+ Be:
>>1
オレもこの本読んだ。金なかったから立ち読みだったけど。
「弥生時代の人間については、ほとんど何も分かっていない。弥生時代は暗黒時代」
みたいに書いてあったと思った。
見かけたらもっかい読んでみるかな。もっと安かったら買ってもいいんだけどな・・・。

25 Name: 出土地不明 [] Date: 2005/09/26(月) 20:56:35 ID: D9vOgmUX Be:
「弥生人」って弥生文化を担った人々をそう呼ぶんであって、それまで日本にいた人が弥生文化を営むようになればそれを「在来系弥生人」と呼ぶし、渡来人がそうであれば、「渡来系弥生人」と呼ぶんでしょ。
>>1の、>最近発見された弥生時代の人骨は、いずれも縄文時代と同じ形質を持っていた。
なんてとっくの昔から周知の事実じゃん。
「今まで騙されていた」わけじゃなく、勝手に勘違いしてただけでしょ。
よくある誤解って程度。

27 Name: 出土地不明 [] Date: 2005/10/23(日) 20:31:22 ID: vXSRwAYn Be:
25が正しい。

弥生人骨には、土着系(縄文系)弥生人骨と渡来系弥生人骨と2種類ある事は大昔からみんな周知の事。

ホント何をいまさらなアホの>>1

28 Name: 出土地不明 [] Date: 2005/10/23(日) 22:04:58 ID: GRKlBGJw Be:
しかし、東京のマスコミがそういう印象操作をしていたのは間違いない事実。
無知な素人が大多数日本人を騙していたと見られてもしかたない。
現在の人骨でも眉毛の上が突出した縄文形質を残している。

38 Name: 出土地不明 [] Date: 2006/02/06(月) 11:51:46 ID: V8NGge/x Be:
日本人のB型の起源はモンゴル系であり、モンゴル系だからといって、肉食だったり狩猟オンリーな生活というわけではない。
だから「日本人農耕民族=弥生人は渡来人じゃない!」は成り立たない。

ちなみに半島からの渡来人もモンゴル系遊牧民族がほとんどだと思うし、半島民族でないと考えると冷静に渡来人を捉えられる人も多いのでは?

40 Name: 出土地不明 [] Date: 2006/02/20(月) 07:47:48 ID: 0YZ7oozb Be:
日本人が農耕するようになったのはつい最近だろ。
縄文時代の中ごろまでは農耕らしい農耕なんてなかっただろうし

41 Name: 出土地不明 [] Date: 2006/02/20(月) 17:19:15 ID: 1Ix9FGAf Be:
弥生時代になってから人口が倍増してるらしいから、縄文時代に農耕があったとしても大した物じゃないだろうね。

42 Name: 出土地不明 [] Date: 2006/02/20(月) 17:33:51 ID: tkCAC4Wm Be:
ただ、土壌の問題(腐敗のしやすさ等)とか、川辺での生活が主だった縄文狩猟民の生活跡は西日本の洪水多発地域では残りにくいという面があり、そういう意味で遺跡が残ってない可能性は大きいだろう。
その辺勘案せんといかんわな。

だから正直、人口推定はあてにならない。
他方、東日本はそういう水害が少ないので、川辺、海辺での生活跡残りやすい。

そもそも本来的に言って、そういう場所での
数千年前の遺跡が残る方が奇蹟だとおもうが

90 Name: たろ [] Date: 2006/04/19(水) 19:02:29 ID: X2mZ9fE+ Be:
三韓征伐(さんかんせいばつ)とは、『日本書紀』に記述が残る、3世紀に神功皇后が行ったとされる新羅出兵をさす。
新羅が降伏した後、三韓の残り二国(百済、高句麗)も相次いで日本の支配下に入ったとされるためこの名で呼ばれるが、新羅征伐と言う場合もある。

ただし戦後史学では「神功皇后の実在を実証できない」、
「当時の日本は倭国大乱の時期であり、海外に兵を出す余裕があったとは考えにくい」
などの理由により、三韓征伐を史実ではなく伝承であるとしている。

4世紀ごろに倭から半島へ進出したのではなく、半島から(扶余族)倭が制圧された、と見る方がよっぽど合理的。
古墳も前期弥生時代は伽羅(任那)の影響が強く、後期に入って圧倒的に人口が増えた事実があるが、青銅器、鉄器、牛馬など扶余族と共に渡ってきたと見た方が自然。

古事記、日本書紀の記述は大化の改新の後で実在が認められた最初の天皇は15代応神天皇。
それ以前の神話、皇統は創作、よって三韓征伐も信じがたい。

3世紀には実在した邪馬台国の記述が全く無い事、大分県宇佐神宮に鎮魂されている比売大神こそ卑弥呼の可能性が高い事、それらは朝鮮半島から渡ってきて倭を征服した扶余族の末裔>大和朝廷、ヤマト王権が、自らの出自を隠し、創作神話と結びつけ、権威付けを行ったと私は見ます。

ちなみに全国にある神社は「鎮魂の為」に建立されたものが多く、その多くは扶余族騎馬民族軍団が従来の倭人を殲滅した「鎮魂の為」だったと見ます。

創作である神代>1代>13代天皇が奈良県か滋賀県に居住し、14代仲哀天皇だけが、「漢倭奴國王」(かんのなのわのこく おう)金印の出土した志賀島のある福岡市東区である事もそれらの事実を傍証しています。

また、その後も百済の武寧王が日本で生まれ、百済王となり、その末裔が天皇家に入っている事、百済滅亡の際には大挙して日本に渡り大和朝廷に入った事、その後5万以上の兵を挙げて、日本が当時の大国である唐と新羅を相手に百済再興と日本の命運をかけて戦った事(白村江の戦い)等、数々の伽羅(任那)、百済との往来があった事等、特に百済と「血縁」関係があった事が明らかです。

結論としては「日本とは百済」だという事です。

102 Name: たろ [] Date: 2006/04/20(木) 19:40:06 ID: kxAMN1Gp Be:
邪馬台国は大和朝廷と融合したのではなく完全に制圧され滅ぼされたと思われます。
理由は古事記や日本書紀に全く記述がない事、宇佐神宮が征伐された卑弥呼鎮魂の為に建立されたと思われる事、等からです。

遠賀川式土器の中でも最も古い板付式の祖形は朝鮮半島青銅器時代の土器です。

「日本」の成立はずっと後であり、日本とは百済人が作った国家です。

江上先生の功績は、戦中戦後を通して評価され文化勲章を授与されています。
三笠宮とも深い学問的交流があった事は、天皇皇族自体がその研究(天皇皇族のルーツが朝鮮半島であると明言している)を認めていたと思います。

DNA的には一般日本人は朝鮮・中国・北方系などが大半を占め、日本古来系統(縄文人)はわずか4%に過ぎません


104 Name: 出土地不明 [] Date: 2006/04/21(金) 09:51:00 ID: 3nxG9bG0 Be:
日本に来た渡来系には、大きく2種類あったと思われる。

縄文人が日本を占拠していた時期に、朝鮮半島を経て、渡来したもの。B52-DR2、弥生人である。
特徴として、頬骨が発達している。

すでに、弥生人が西日本を占拠していたころに朝鮮北部から、瀬戸内海を渡り、西日本を素通りして、新しく関西周辺に入ってきた渡来人B44-DR13である。
顔の特徴は頬骨が前者の弥生人程発達してなく、蚕型の輪郭をしている。
関西周辺から入り、秋田方面、東海方面へと広がっていった。
やはり西日本は弥生人がすでに占拠していたため、西日本にはあまり入りこめず西に行くほど頻度は低くなる。


現代朝鮮人・関西周辺人・中国地方人は同じ新モンゴロイド系だが、関西周辺人だけ、ぶっちぎりで現代朝鮮人に近い、現代朝鮮人と同一の血を持つ集団が、弥生時代から古墳時代頃に関西周辺にだけ土着したという証拠である。

手掌紋D線3型出現率から求めた朝鮮人との距離
朝鮮 0
近畿 0.007←関西はここ。ぶっちぎりで朝鮮人に近い。
中部 0.012←関西のとなりの濃尾平野はここ。
中国 0.035
九州 0.035
四国 0.038
東京 0.048←関東はここ。
東北 0.068←東北はここ。
南西諸島 0.092
アイヌ 0.118
山口敏「日本人の顔と身体」より

「B44ーDR13」は関東で5,7%とさほど多くない。
韓国は7,0%で北陸7,2%から秋田に多く、近畿6,6%、
東海10,7%でも頻度が高い。日本中央部に多いタイプ。

>関東で5,7%とさほど多くない。近畿6,6%でも頻度が高い。
>関東で5,7%とさほど多くない。近畿6,6%でも頻度が高い。

117 Name: 出土地不明 [] Date: 2006/04/21(金) 14:10:25 ID: Bo6aPZjj Be:
弥生人は朝鮮半島自体から渡来したのではなくて、モンゴル以北から朝鮮半島を素通りして日本に渡来したのである。

朝鮮半島は弥生人に素通りされただけで、朝鮮半島には弥生人はほとんど定着していない。

だから、日本人とモンゴル人は最大のハプロタイプが同じで、同祖を高頻度に共有しているが、朝鮮人にはこのハプロタイプがわずかしか見られない。

その代わり、朝鮮人には中国人に多く見られるハプロタイプが見られる。
これが日本人にはほとんどない。

日本に弥生人がやって来た後、朝鮮半島は中国に侵略されたからである。

朝鮮半島人はハプロタイプが日本人と6割以上も違う異人種である。

118 Name: 出土地不明 [] Date: 2006/04/21(金) 14:12:13 ID: Bo6aPZjj Be:
日本人の遺伝子から土着系(縄文系)を除いた部分を多くの遺伝学は、必ずブリアートからモンゴルあたりを指し示めしている。

つまり弥生人はブリアートからモンゴルあたりから南下し、満州と朝鮮半島を素通りして九州北部に渡り、人口爆発して西日本一帯に広がり、土着系と混ざりながら大和民族が形成されていったのである。

朝鮮半島は当初は日本の縄文人に似た土着系が住んでいたと考えられるが、弥生人が素通りして日本列島へと消えていってからしばらくした後、ついに朝鮮半島は華北人に侵略され、楽浪郡を置かれて400年間も支配された。
その後、今度は満州東部から流入した高句麗人に朝鮮半島北部を侵略され、土着系たちは華北と満州の血を注ぎ込まれながら、ここにようやく朝鮮民族が形成されていったのである。

119 Name: たろ [] Date: 2006/04/21(金) 14:52:10 ID: KoG5no9T Be:
>>118
>弥生人はブリアートからモンゴルあたりから南下し、満州と>朝鮮半島を素通りして九州北部に渡り、人口爆発して西日本一帯に広がり、土着系と混ざりながら大和民族が形成

違うと思いますよ。

4世紀から5世紀にかけての朝鮮半島では北方系騎馬民族が続々と南下して農耕地帯に定着し、国をつくる。これが高句麗や百済の並立を促し、中国大陸北部においては五胡十六国の建国につながった。
高句麗はまぎれもなくツングース系の騎馬民族国家であり、56ヶ国からなる馬韓を統一した百済もツングース系の「扶余族」と言われる。

それが現在の釜山>対馬>北部九州を経て、それまで居た「縄文人」、東北地方以北の「蝦夷」、九州の「熊襲」を、鉄器、青銅器、稲作技術を持った騎馬民族軍団が大挙して征服していった。

人口爆発増加、古墳文化の急激変化は、大挙して上陸した渡来人、または縄文人との融合によって出来た。

古代朝鮮と日本とのかかわりは言語学的にも、同列です。

特に大和朝廷と百済の関係は直接の血縁関係があります。

日本とは百済です。

120 Name: 出土地不明 [] Date: 2006/04/21(金) 16:06:28 ID: XtdzHhXq Be:
>>119
九州で縄文人(毛人?)と言われる人々の人口密度は、東日本のそれとは比べものにならないくらい低かったと思います。
稲作を持ち込んだのはおそらく三苗人といわれる東シナ海一円に散っていった海人らでしょう。
、BC1000くらいから小規模ながらも波状的な渡来で、上記から推測するに九州へは簡単に入って来れたと思います。
隼人と言われる人々の中にはそれら渡来人とのハイブリットも多くいたことでしょう。


>>(ツングース)それが現在の釜山>対馬>北部九州を経て、それまで居た「縄文人」、東北地方以北の「蝦夷」、九州の「熊襲」を、鉄器、青銅器、稲作技術を持った騎馬民族軍団が大挙して征服していった

弥生後期から古墳時代全般のことを話してますか?
もしそうなら弥生期の全盛文化は縄文人のシワザということになりますよ?
。。。やはり遊んでいるの?
古墳時代の人口爆発は有名どころでは秦氏などの半島氏族の大量渡来や、それらが持ち込んだ先進技術による食料生産効率化などが要因でしょう。
けっして騎馬民族が侵略した結果ではありません。
彼らは鍛冶屋や蚕飼などの先進技術で召抱えてもらったのであって、言い換えれば新たな王に鞍替えした集団なのです。

121 Name: 出土地不明 [] Date: 2006/04/21(金) 16:22:48 ID: aWPS0e5V Be:
漢の時代、倭は朝鮮半島南部のことをいい、日本列島のことをささなかった。
魏の時代に“倭人”伝が書かれたということは倭人がどこから来たかは明らか。
朝鮮の三国史記の新羅伝でも倭人は日本だけでなく加羅の人々も倭人と呼んでいた。
当時の日本では製鉄能力がないか極めて低く本国の加羅の技術者に頼っていた。

122 Name: たろ [] Date: 2006/04/21(金) 16:30:22 ID: KoG5no9T Be:
そうですね、
>(ツングース)それが現在の釜山>対馬>北部九州を経て、それまで居た「弥生人」、東北地方以北の「蝦夷」、九州の「熊襲」を、鉄器、青銅器、高度な稲作技術を持った騎馬民族軍団が大挙して征服していった

>人口爆発増加、古墳文化の急激変化は、大挙して上陸した渡来人、またはその弥生人との融合によって出来た

に訂正させて頂きます、失礼しました。

「言い換えれば新たな王に鞍替えした」

ここは甚だ疑問です。何故3世紀には実在した邪馬台国が魏志には記載されて、7世紀の古事記、日本書紀には記載されていないのか。

百済と皇室の関係については省きますが数々の物証、傍証、史実から明らかに出自は百済だと思われますので、そうすると4,5世紀に朝鮮半島を制圧した勢いで倭にも進出して来た百済人、多分最も最大の王であったろう邪馬台国(私は大分県だと推測)卑弥呼等を滅ぼして奈良に居を構えた。
それが実在する最古の天皇、15代応神天皇だろうと言う事です。

123 Name: たろ [] Date: 2006/04/21(金) 16:47:17 ID: KoG5no9T Be:
第14代仲哀天皇は古事記によれば半島と近い現在の福岡県福岡市東区香椎に住んでいた。
「漢倭奴國王」金印の出土した志賀島はそこから歩いてもいける距離です。

仲哀は百済から来た騎馬軍団の長だったのではないでしょうか、福岡県にあったであろう「漢倭奴國」が滅亡したのも、征伐されたのでしょうか 非常に意味深です。

古代には大和朝廷の数々の征伐逸話がありますが、「倭を征服した」百済人こそ「日本」を創ったと思います。

石渡信一郎先生は「日本の古代国家を建設したのは古墳時代に渡来した南朝鮮人である。
前期古墳文化をもたらしたのが加羅系集団であり、五世紀末以降の古墳文化をもたらしたのが百済渡来集団である。
誉田山古墳〔応神陵〕の被葬者は百済系渡来人であり、天皇家の始祖である」と結論付けられていますが、私も同じ見解です。

125 Name: 出土地不明 [] Date: 2006/04/21(金) 16:51:58 ID: aWPS0e5V Be:
騎馬民族渡来説はおかしい。
馬を右乗りするのは日本だけ騎馬民族含め他国は左乗り。
馬の去勢、蹄鉄の使用、馬具の違いなど騎馬民族の風習や使用方法と日本のそれを比べると大きな差がある。

127 Name: 出土地不明 [] Date: 2006/04/21(金) 17:11:28 ID: XtdzHhXq Be:
>>122
邪馬台国の比定置はノーコメントで。
融通王≒応神説ってことですか?これもコメントしにくいけど、確か応神が連れ帰っただか、手引きしただか日本書紀に記されてましたよね?
九州に本拠を置いていた王の一人が応神で、それが新羅あたりの製鉄能力に長けた実力者、帯方辺りのから下ってきたチャイナ人(自称始皇帝の子孫)らを利用したのだと推測します。

128 Name: たろ [] Date: 2006/04/21(金) 18:02:23 ID: KoG5no9T Be:
融通王=応神では無いと思いますが、非常に近しい間柄であったのは間違いないでしょう。

同じ半島出身者として。

129 Name: たろ [] Date: 2006/04/21(金) 18:30:44 ID: KoG5no9T Be:
おもしろいWebを見つけました。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/2003.12nara/12.28kawati3.htm

-誉田山古墳〔応神陵〕の国宝、「金銅製透彫鞍金具」が中国遼寧省喇嘛洞で、最近出土した鮮卑族の鞍と「細部に至るまでほとんどまったく同一」-

鮮卑族は中国北部に存在していた民族なので、その辺の経緯はまだまだ不明ですが、日本の考古学にも大激震がくることは間違いないでしょう。

130 Name: 出土地不明 [] Date: 2006/04/21(金) 23:30:06 ID: j5A26MEQ Be:
応神の頃、秦氏など、多くの渡来人も来てますし、鮮卑の鞍と同じものがあっても何も不思議でなないです。
大君の威信財として日本に来たのでしょう。

131 Name: 出土地不明 [] Date: 2006/04/22(土) 00:46:47 ID: xnegGKaa Be:
>>129
一応補足しておきますが、鮮卑は扶余つまり高句麗と百済の支配層とは異なる民族で現在の朝鮮族とも異なりますね。

132 Name: 出土地不明 [] Date: 2006/04/22(土) 09:54:27 ID: MgLaeUEp Be:
素人考えですが、弥生の特徴を持った人達は奴隷貿易を通して、日本に定着したのではないでしょうか?

1.沖縄人ー縄文人ーアイヌ人の骨格での遺伝的類似性。
2.沖縄方言と日本語の共通性とそれに対する朝鮮語の非類似性。
(アイヌ語については疑問が残りますが、、、)
3.関西および中部に渡来系の特徴が色濃く見られること。

よって、北九州の勢力が、関西、中部を植民地的に開発するのに伴って、必要となった労働力を半島から購入して、関西と中部地域に投入した。
稲作収入は北九州に搾取され、それを元手に新たな奴隷を半島から輸入する。
本拠地は弥生の芽生えも早く米食を元に人口増加しているため、開発可能で人口密度の低い、関西と中部が入植の対象となるし、入植には、奴隷労働力が必要となった。
結果として、こうした関西の勢力はその後北九州に対して独立するかに見えたが、ここから、神武東征と。
反逆を制圧と考えれるし、動機は十分でしょ。

どうでしょうね?

209 Name: 出土地不明 [] Date: 2006/04/28(金) 14:33:35 ID: hk95OMlO Be:
いまから、2100年前の弥生時代の半ば、濃尾平野で足踏みしていた渡来系の人々は、突然、再び東へと拡大を開始し、関東平野に進出する。
その時に築かれた集落の一つが、神奈川県小田原市にある中里遺跡である。

この中里遺跡は、研究者達の常識を覆すものだった。

なぜなら、西日本では渡来系の人々は、まず小さな集落を築き、そこを拠点に周囲に広がっていくのが通例だった。
しかし、関東地方では何の前触れもなく、いきなり大規模な集落が誕生するからである。

中里遺跡には、その謎を解く手掛かりも残されていた。

実は渡来系の土器は全体で5%を占めるに過ぎない。
のこりの95%は地元関東の「須和田式」という縄文系の土器なのである。
渡来系の人々が、こちらへ来て関東の土器を使った事も考えられるから、土器の比率が、そのまま人口比を示すわけではないだろうが、それにしても95対5というのは圧倒的な差である。
中里遺跡の主体は、むしろ縄文系の人々だったのだ。


発掘を担当した玉川文化財研究所の戸田哲也さんは、こうした発掘調査から、中里集落の成立について、次のようなシナリオを考えている。

「少数の渡来系の人々が西からやってきたのを聞きつけて、地元の縄文系の人々が、この地にわっと集まり、渡来系の人々と協力しながら集落を築いていったのだと思います。

その証拠に、この遺跡からは、鏃(やじり)や武器など戦いの証拠を示す遺物は、殆ど出土していません。
地元の縄文系の人々が渡来系の人々の到着を、今か今かと待ちわびていたかのように見えます。」



西日本では、圧倒的多数の渡来系の人々が、時には縄文系の人々を蹴散らしながら、勢力を広げる場面も見られた。
しかし、東日本では逆に、多数派の縄文系の人々が、少数派の渡来系の人々を平和的に迎え入れた。

こう考えるのは、縄文系の人々の肩を持ちすぎだろうか?



いずれにせよ、縄文系の人々と渡来系の人々が協力しながら、新たな生活を築いていく光景は、日本列島の各地で見られた。
こうして「弥生」という新たな文化が生まれた。

事実は、縄文文化+渡来文化=弥生文化、である。

縄文文化が渡来文化に塗り替えられなかったからこそ、言葉を換えれば、縄文文化が、その後の文化の中に脈々と生き続けたからこそ、日本列島の文化は、中国や朝鮮半島とは異なる独自の道を歩む事が出来たのだ。
http://toron.pepper.jp/jp/kodai/roots/kyousei.html

日本人のルーツ

397 Name: 出土地不明 [] Date: 2006/12/27(水) 22:09:34 ID: uA/uleC2 Be:
文物から見たって、弥生文化に酷似しているのはポリツェ文化などのアムールあたりのオホーツク文化だよ。

土器や青銅器などの不一致などはまるでこの世に存在しなかったかのように一切黙秘し、一致文化だけを唱え狂い、百万回繰り返しては、無理くり誘致しようとする変態の多い事で有名な例の江南でもないし、華北でもない。

だいたい弥生前期末頃まで渡来人骨なんか出土しないのだから、それまでに既に伝わっている稲作や農耕具の伝来に関係できるはずがないんだよ。

渡来人はアムール沿岸部から船で沿岸沿いに南下し、朝鮮半島は東岸を通過しただけでそのまま九州北部までやって来てしまった訳だから、朝鮮半島に居つく訳もないんだよ。

398 Name: 出土地不明 [] Date: 2006/12/27(水) 22:29:10 ID: 7MqO7Vvr Be:
>>397
九州の弥生草創期の住居跡を見る限り、完全に朝鮮半島南部の形式だよ。
弥生時代初期から、半島南部系の渡来人ってのはいたんだよ。
アイヌ文化にはオホーツク文化がかなり入り込んでいるのは事実だけどな。

400 Name: 出土地不明 [] Date: 2006/12/27(水) 23:01:26 ID: 7MqO7Vvr Be:
>>399
じゃあ、どうして、朝鮮半島南部式の家に住んでいたわけ?

401 Name: 出土地不明 [] Date: 2006/12/27(水) 23:05:28 ID: uA/uleC2 Be:
単に朝鮮半島南部にディープに入り浸っていた九州北部の縄文人自身が、半島式の竪穴式の住居配列を持ち込んだだけ。

402 Name: 出土地不明 [] Date: 2006/12/27(水) 23:08:32 ID: uA/uleC2 Be:
ああ、それと、朝鮮半島南部の形式なんて言わんでくれ。

北方アジアから入ってきた形式ですから。

403 Name: 出土地不明 [] Date: 2006/12/27(水) 23:10:32 ID: 7MqO7Vvr Be:
>>401
なるほど。そりゃたしかにありそうだ。
縄文人は朝鮮半島にでむいていって、どうやら半島の中でも中国人とかいないようなど田舎にいってそこから農業をまなんで持ち帰ったらしい、というのが、かなり主張されているよな。
それから、途中で、ひともつれてきたほうがいい、ってことで、人もどんどん招聘しちゃったらしい。
そういうのがよしのがりの遺跡とかみたいな、渡来系ばっかしの集落だという話もある。
しかも、弥生人の渡来系ってのは、中国南部に近いんだよな。
日本の古墳時代の古墳の作り方の原点は中国の粤のほうのものだし。

404 Name: 出土地不明 [] Date: 2006/12/27(水) 23:22:31 ID: u2prlE8p Be:
全く招聘していない。

朝鮮半島の古代人骨は、弥生人骨よりも大柄で、短頭で頭頂部の高い。
特異な頭蓋を持っているのだが、そういうような渡来人骨は九州北部には全く出土しない。

第一、無文土器をほとんど作っていない。

それに渡来人骨は中国南部の人骨から遠い。

渡来人骨は中頭で顔が高いが、中国南部の人骨は短頭で顔が低い。

中国の土トン墓は漢代初期までの文化で、古墳時代には既に作られていない。



ちょっと荒れてるので、必要そうなところだけ取り出してみたつもり。
疲れた…(^∞^;)

古代日本史はとても興味深い。
というか、日本人は自分の国のことを知らなさ過ぎなのではないかと思う。
考古学板を見てると日が暮れそうだ…。
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02/17|民俗学/考古学/遺跡コメント(3)トラックバック(0)TOP↑
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From:  * 2012/05/16 13:39 *  * [Edit] *  top↑
騎馬民族征服説を21世紀にもなって主張すんなよ。
From:    * 2007/03/02 06:25 * URL * [Edit] *  top↑
日本人ってこの島嶼の上に自然発生した人外の
何かだって主張してるのかな?
From: うへへ * 2007/02/23 15:49 * URL * [Edit] *  top↑
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